第637回男塾「イスラエルとパレスチナ 人類史上最もやっかいな問題」11 ~完結編・イスラム教は21世紀の社会主義になる~
「平等主義」の問題点
イスラム教では自由ではなく平等を強く主張するし平等な社会を求めている。だから画一的な集団蟻のような社会になる。「全智全能のアッラーの下に全てのイスラム教徒は平等であらねばならない」というのが彼等の思想だ。いや、イスラム教徒だけではなく全ての人間は神の下では平等でなければならないと考えている。「公平」よりも「平等」の観念を教えの中心に据えたのがイスラム教の特色である。
では世界中に「平等」な世界はあるかというと存在しない。人間にはそれぞれ能力の違いがあり平等にはなっていない。特に自由を与えたら能力の違いによって貧富の差が開くことになる。だからアメリカ的自由主義は受け入れることのできない政治体制であると考える。しかし自由主義経済圏では自由の行使によって貧富の差は生まれる。だから自由を肯定しないのがイスラム教である。しかし自由主義には実は「平等」な概念がある。
それは何かと言うと「チャンスの平等」である。平等を「結果の平等」ではなくチャンスの平等・機会の平等を提供しようとしているのが自由主義である。チャンスはできるだけ多くの人に平等に与えられなければならない。しかし努力した結果、人に開きが出ることは仕方がないことである。努力した人もさぼった人も同じように扱う結果平等をよしとすれば怠け者が得をする世界が到来することになる。それは決して神が良しとする世界ではないことくらいわかるだろう。
チャンスを平等に与え、努力精進の結果、差が開き公平に処遇されるのは決しておかしな世界ではない。どのスポーツでも競技をしたら公平に順位は決まるようになっている。100mを9秒で走った選手と11秒で走った選手に平等に金メダルを与える世界こそが不公平な世界である。