第632回男塾「イスラエルとパレスチナ 人類史上最もやっかいな問題」9~その後のパレスチナ人~
イスラエル第一次中東戦争で勝利する
1949年7月20日、第一次中東戦争が終結し新生イスラエルとイスラエルを攻撃したアラブ諸国の間で休戦協定が結ばれた。戦闘が止むと侵攻してきたアラブ諸国軍の撃退に成功したイスラエルは、歴史的なパレスチナの領土の78%を領有した。なお、この戦争は国際連合が成立して最初の国際紛争であった。なぜイスラエルが勝てたのかは解説するまでもなかろう。貧弱な軍備のアラブ連合軍に対して、イスラエルには米英の近代兵器が供与されたからに他ならない。
国連の分割決議で割り当てられた領土支配率50%をまたしても超えたわけだ。ヨルダンはヨルダン川西岸と東エルサレムを、 エジプトはガザ地区を獲得した。一方パレスチナ人は何も得られなかった。
勝利の代償は高くついた。人口の約1%に当たる6,400人のイスラエル人が命を落とした。 アラブ人の犠牲者も少なくとも同程度に上った。 両者で12,000人の戦死者とすると、この数字は今回のまだ終結していない戦闘中のハマス戦争の犠牲者(2024.1.21時点でのガザ地区の死者2万5千人以上)がいかに大きいかわかる。
約70万人のパレスチナ人が現在のイスラエルにあった家を追われたり逃げたりした。イスラエルとアラブ諸国軍の間で休戦ラインが公式の地図上に緑色のペンで引かれた。 そこで、それを「グリーンライン」と呼ぶ。グリーンラインは国際的に認められてイスラエルの国境線となった。イスラエルは第一次中東戦争を「独立戦争」と呼ぶ。 一方、パレスチナのアラブ人はそれを「ナクバ」、つまり自分たちの土地を奪われた「大惨事」と呼んでいる。