第34回男塾「イスラエルとパレスチナ 人類史上最もやっかいな問題」8
~イスラム教編~
メッカから追われ、メッカに攻め上り制圧したマホメット軍
当時の新興宗教であるイスラム教は貧民や奴隷などの支持を受け、燎原の火の如く中東地域全体に広がっていくことになる。しかしマホメットが属していた宗教的にも政治的にも支配者であった多神教のクライッシュ族に迫害され、622年にメッカを追われることになる。当時は多神教の教えが主流であり、「アッラー以外神なし」という教えを説いたマホメットは迫害されたのである。そして現在のメジナに移る。これが「ヘジラ(ヒジュラ)」と言われるメジナへの移住である。
マホメットは「メジナ」で、教団を組織し、軍隊をも指導し、630年にメッカに攻め上り制圧する。軍事的天才のマホメットは史上初めて「塹壕戦」を発明し、塹壕の中から隊列を組んで交互に撃つ連続発射型の弓部隊をつくった。これは信長が長篠の合戦で行った鉄砲隊の三段撃ちにあたる。この新しい戦術によって10倍の敵のクライッシュ族との戦闘に勝利し初めてアラブ民族の統一を図ったのである。
強敵に勝てば「奇跡が起きた」ということで味方が増え、ひいては伝道が進む。よってイスラム教の伝道の背景には強い剣が欠かせなかった。戦いに勝つことが砂漠地帯では「メシア」の資格を得ることになるためマホメットは「メシア」として讃えられていくことになった。単に教えを説く宗教家の側面だけではマホメットは「メシア」の資格を得ることはなかったであろう。砂漠地帯では戦いに勝ち民衆を開放するモーゼのような人物が英雄でありメシアであるのだ。