2023/10/04

第609回男塾「第二次世界大戦の分水嶺・ガダルカナル」1

軍事
歴史
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第609回男塾「第二次世界大戦の分水嶺・ガダルカナル」1




第二次世界大戦の分水嶺は「ガダルカナル」であってミッドウェーではない。ミッドウェー海戦は昭和17年6月5日、ガダルカナル戦は同年8月~12月、撤退作戦開始は翌年の18年2月からである。日本軍は両方の戦いで決定的な敗北を喫した。帝国海軍にとってはミッドウェーはターニングポイントになったし、帝国陸軍にとってはガダルカナルが陸軍にとって初めての敗戦となった。よってガダルカナルの敗北はそれまでの日本軍の快進撃の分岐点にあたり、敗戦を決定づけたとする見方が一般的である。


昭和16年12月8日の帝国海軍による真珠湾攻撃によって開戦し破竹の勢いで進軍した日本軍であったが、その勢いはミッドウェー海戦までであり、大敗北を喫した2か月後から始まったガダルカナルの戦いでは更なる決定的な敗北を喫したことになり、戦局は大転換し日本の優位性は失われてしまいその後は見るも無残な戦を繰り広げることになる。よって連合軍との通算で3年8か月の戦闘で日本軍が優位だったのは開戦からわずか7か月間だけだったことになる。


ガダルカナルは戦略的にも決して重要拠点とは言えない、それまで誰もが聞いたことのない南海の孤島にしかすぎなかった。戦争とは陣地捕りゲームであり、より重要で広い範囲を制圧した側が勝利する。


ではガダルカナルはどうだったかというと、米豪の連絡を遮断するくらいの目的しかなく、どうしても帝国陸海軍が占領せねばならない「点」ではなかった。ガダルカナル奪還への固執が帝国陸海軍の人的損失、物的損失を最大化させてしまい、それまでの戦局の転換点となってしまった。ただし米軍のマッカーサーはラバウル占領を目論んでおり、その手始めとしてガダルカナル攻撃を仕掛けているのでガダルカナルでの連合軍との激突は必然であったと言える。

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