最新の医学ではがんは大きくなって転移するという説は間違いで、本物のがんは早い段階で多数の臓器に転移する。だから症状が出て病院に行き、がんが見つかり標準治療(外科手術、放射線、抗がん剤)をしても治らない。
「痛い、苦しい」など、日常生活で不便を感じる症状がなく、検査や人間ドックや会社の検診などで見つかるがんはほとんど、「がんもどき」であって、放置しておけばよいもの。検診で早期がんが見つかり早い段階で切除して助かったと喜んでいる人がいるが、何のことはない。ほっとけばいいものを、健診したばかりに見つかり、必要のない手術をうけ、体を傷つけたのだからラッキーではなくアンラッキーだったのだ。
「がん」と「がんもどき」は電子顕微鏡で見ても区別がつかず、「がんもどき」が「がん」と認定され治療コースに回されていることがほとんどと解釈しておけばよい。健康体の人にがん健診は必要ない。
次に「抗がん剤」では治らない。がん治療のいろはとして「抗がん剤」は当然のように処方されるが、抗がん剤でがんが治る、完治するということは金輪際ない。しかも抗がん剤の副作用の苦しみは壮絶であり、その苦しみの代償として延命もあるかないかという程度。なのに何故、副作用を伴う抗がん剤治療をやり続けるのか。そこに一言では片づけることが出来ない日本的がん治療の闇がある。
あえて「日本的がん治療」と表したのに意味があり、他国では放置治療するという、がんへの処し方をしているからである。欧米では舌癌にしろ、子宮がんや膀胱がんにしろ、放置治療が標準治療になっている。抗がん剤が「効く」と聞くと、日本人患者は藁をもすがる気持ちで真面目に治療に取り組むが、「効く」と「治る」は違う。
「効く」とは一時的にがんのしこりを小さくすることを指す。抗がん剤や放射線は一時的にがんを縮小させることはできるが、この縮小は無意味であり、延命効果が完全に認められないうえに、患者の生活の質を著しく悪化させる。悪化させるとは、まともな生活が出来なくなるということだ。抗がん剤の多くは公式に「毒薬」に認定され、その障害は海外では「毒性」と呼ばれていることを知るべきである。私なら死んでも抗がん剤治療を受けない。きっぱり拒否する。
がんは痛いというのは嘘。痛がるのはがん治療のおかげで痛みがあるのであって、「がん」の痛みではない。そこを混同されている。少なくとも「胃がん」「肝臓がん」「食道がん」「子宮がん」の4つは放置すれば年齢に関係なく最後まで痛まない。昔でいう老衰死は実はがんも多く、痛まず理想の大往生をしていた。今は、老衰死は許されず本人は頼みもしてないのに、スパゲティ人間にされ、強制呼吸器、生命維持装置を装置され延命治療が成され、なかなか死なせてくれない。
さて、がん治療のお決まりのコースとして、外科手術を選び、腹を切開し、がん細胞を摘出するが、その際腹膜をべたべた触ると傷つき内臓の癒着が起き、癒着から腸がつまるとひどく傷む。ニュースキャスターの逸見孝政さんもがん発見からたった10か月で死亡し、胃を全摘出して癒着が起き相当苦しみぬいて死亡したが、手術をしなければ10か月で亡くなることはなかった。当然抗がん剤も投与していた。がん治療を真面目にしたばかりに寿命を縮めているのが実態である。
逆に巡り合った医者を信じ、放置治療を選択した患者のほうが長年生存でき、痛みもなく安らかな死を迎えた事例は山ほどある。がんで亡くなったのではなく、がん治療で死期を早めているのだ。
痛みというのは、がんそのものによる痛みより、治療に伴う痛みをがんの痛みと混同されて伝聞されてしまっている。がんにとって迷惑なことである。がん自体の痛みは「モルヒネ」で完全にコントロールできるものであり、がんによる断末魔の苦しみを想像し、いたずらに恐怖することはない。がんの種類によっては最後までまったく痛まないものもあるほどである。
もう一度繰り返す。「苦しみぬいて死ぬのは、がんのせいではなく、がん治療のせいである。」
無駄に苦しむだけで効果のないがん治療が世の中に跋扈している現状から、唯一逃れることのできるのは、病気になれば医者を信じて任せておけばよいという観念をバッサリと捨て、医者を疑い、自分で調べてみる癖をつけることである。それはがん治療に限ったことだけではないことは言うまでもない。
一度に三種類以上の飲み薬を出す病院、風邪をひいて熱がでたら問答無用で解熱剤を処方する医者、痛風の原因はプリン体でありビールを控えるようにと、お決まりの処方する医者、勝手に法定基準値を下げておいて高血圧と診断し薬を出す医者、全て疑った方がいい。
風邪をひいて病院に行っても風邪薬を出さず、安静して様子をみる「治療」をするのが実は世界的な風邪に対する平均的な療法であることを知っておくことだ。未だ風邪さえ医者や薬が治したことは人類史上一度も無いことをしらねばならない。治しているのは自らの免疫力という体力である。
もっと言えば各国で医者のストライキが何度かあったが、どのケースもすべからく医療機能が停止した期間の方が、病院が正常に機能した時より、逆に大幅に死亡率が減少したという笑えない事実がある。「放置」という治療法が最も効果的ということになる場合もあるということである。
最後に、私がいくらこんなことを述べたところで、病院に行けば医者による「洗脳」が待ち受けており、にわかじたての無免許の桜の言うことなど信じられるかということになるのは火を見るより明らか。よって書店にあふれている医学書を通して自分なりの研究を成し、自らの定見を確立すべきであろう。いづれにしても一生涯病気にかからない人はいないし、人は病気をして死ぬし、病気にかかることはある。
自分の人生に「医学」という明かり灯し、「手術をする、しない」「治療する、放置する」「薬を飲む、飲まない」「人間ドックに入る、入らない」「延命治療する、しない」などの正しい判断を、医者ではなく患者がすべきである。誰しも判断を迫られる場面は必ずいつか訪れる。
本論考は実に重い重いテーマなので、この程度の文字数では圧倒的に足りない。がんと健康を考えるヒントにしてもらえれば幸いである。
押忍