2019/05/17

第380回男塾「仰天旅行ハワイ編」1

紀行文
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第380回男塾「仰天旅行ハワイ編」1


ハワイ紀行文
今、筆者の目の前には、ハワイ・オアフ島の北岸にあたる、ノースショアの美しい海が広がっている。ノースショアでも、あのブランドの「サンセット・ビーチ」にいる。西にくだれば「バンザイ・パイプライン」という、チューブライディングを楽しめるサーファーズ・メッカの場所もある。

サーファーズシティの「ハレイワ」の町の中心からは、車で30分は離れたところだ。そして僕は、「サンセット・ビーチ」のビーチフロントのバンガローの2階のリビングにおいてあるテーブルで、世界中のサーファーが憧れる完璧なノースショアの波の音を聞きながら、思索にふけりながら文章を書いている。




無論、北から吹いてくるノースショアの風は実に気持ちがいい。何と幸福なひと時であろうか。とてつもなく、時間がゆっくりと流れていく・・・それがハワイの専売特許でもあるが・・・・。

ハイティーンから20代前半にかけて、瀬戸内海ではサーフィンができないので、高知の生見海岸や鳥取・白兎海岸や浜村温泉海岸に波を求めて、当時の愛車であった「カリーナ」にサーフボードを積んでサ―フィンに興じていた時期がある。

カリーナの上にサーフボードを積んでもまったく「サマ」にならないので、当時日産から新発売された「サニー・カリフォルニア」のバンが欲しかったことを思い出す。ボディに貼ってあった板パネルが、カリフォルニアナイズされて、何とも格好良く思えたものだ。

「いつかハワイの海辺の白い外壁の家に住み、ノースショアでサーフィンをする」、恋愛中だった今の女房殿に公言していた。時は40年近く流れ、まだハワイには住んではいないものの、そのノースショアで今、「男塾」を書いている。女房殿はというと、海辺に面した広いベランダで、僕が読み終えたばかりの「景山民夫」の本を読んでいる。人生とは不思議なものだ。

昨年は、「日ユ同祖論」を探求したあげく、ユダヤの神に導かれたのだろうか、5月にイスラエルに渡航した。そして、帰国して「イスラエル紀行1.2.3.4.5」を書いた。結局、「日ユ同祖論」の講演会をユーチューブにアップしたら、自然発生的に火がつき10万人以上が見てくれるヒット作となった。そして現在も視聴回数は増え続けている。おそらく今、日本人に必要なメッセージであったのだろう。

そして、第2弾として、今年はハワイについて書こうと思った。司馬遼太郎の紀行文のように、歴史を語る格調の高い内容にしようと考え、「ハワイがなぜ日本化したのか」その歴史的背景から探ってみようと思い、文献を紐解き研究し、準備万端整っていたのだが・・・

景山民夫の著書で「仰天旅行」をハワイに着いて読んでから、今回の旅行は、このようなドタバタ劇のドキュメントに値すると思い、紀行文として、取り組むには取り組むものの、路線を大きく変えることにした。

そう、方針を変更するほどの数奇な運命が待っていたのだ。成田から・・・・・

これから書く文章は、間違いなく、ハワイに初めて渡航するビギナーも、ハワイのリピーターも、ハワイを知る意味で参考になることだろう。


景山民夫との縁と百田尚樹
「仰天旅行」は、もう25年以上も前に読んだものだが、旅先で軽く読める本として、マイライブラリーの中から既読本の中の唯一の1冊として持参することにした。マイライブラリーで旅に持参する適当な1冊を探していたら、なぜか目に留まったのだ。

その他書物7冊ほど、書店で新刊本を買いバックに詰めて来た。「仰天旅行」を一読したが、25年の歳月というのは記憶を消すのに十分な時間で、ほとんど内容を忘れてしまっていて、新鮮に面白く読むことができた。

景山さんとは、90年台初頭に親交があり、知らない仲ではない。奥様がマネージャーを兼ねていたので、奥様とも知り合いである。いつ会っても酒臭かったことを思い出す。あれはバーボンの匂いだったはずだ。

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