第323回男塾「イスラエル紀行・アラブ論中編」3
今回と次回が、アラブ編のクライマックスである。アラブ編は長文だが、息をついたらイスラエル・パレスチナ問題を歴史の虹として理解することを阻害する要因になってしまうので、一気に駆け抜けていくこととする。では出発しよう。
パレスチナの起源もアブラハム
「日ユ同祖論」なるものは、世界でも日本・イスラエルでも公認された史実ではないものの、実はアラブ人とユダヤ人の祖先は同じであり、兄弟であるということは知られている。しかし、日本人でそのことを知る人はほとんどいない。それは旧約聖書に起因するのでその論を否定することはできない。
ここでユダヤ人の起源について語っておかねばなるまい。そこにユダヤとパレスチナの争いの根源がある。若干長くなるが、歴史と宗教の勉強として知っておくべきことでもある。
チグリス川とユーフラテス川がペルシャ湾に流れるあたりに、ウルと言う町があった。そこで生まれたのがユダヤ人とアラブ人の始祖にあたるアブラハムである。アブラム(後のアブラハム)は、父テラ、妻のサライ、そして甥のロトと共にウルの町を離れ、タガーマ地方にあるハラン(現在のトルコ南部)に移り住んだ。アブラムはある日、神のお告げを授かった。
「生まれ故郷、父の家を離れ、我が示す地に行け。我は汝を偉大なる国民とする。汝を祝福し、汝の名を高める。祝福の源となれ」