2018/06/02

第321回男塾「イスラエル紀行序論・マサダの砦」1

歴史
紀行
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第321回男塾「イスラエル紀行序論・マサダの砦」1


いきなりカタカナに似た文字が出迎えてくれて歓迎してくれた。遂にヘブライ文字の国に来た。見ての通り日本人であればかなりの部分をカタカナとして発音することができる。イスラエル人が、日本に来てカタカナを見てヘブライ文字と似ていると思うように日本人も逆になればそう思う。

9000キロも離れた日本とイスラエルが文字、言語、文化、宗教、しきたりが似ている件については以前、「日本人とユダヤ人、日ユ同祖論の真相に挑む」で探求済みなので「日ユ同祖論」を読んでいる同行の社長が「カタカナの起源はここにありますよね」と言った。筆者は深くうなずく。日本では漢字を崩し平仮名ができ、平仮名からカタカナが出来た、と、義務教育で教えているが絶対に嘘である。




例えば日本では、猿が進化して人間となったと、ダーウィンの進化論を根拠に教えているが、それは日本の教育事情のことであり、欧米ではそのような「思想」もある、という程度にしか過ぎず、神が人間を創造したという説の方が有力なのである。文科省の教育にはいたるところに「嘘」があり、それが定説となっているように日本語の文字についても「嘘」がまかり通っている。それでも文科省はヘブライ文字とカタカナが似通っていても、「それは偶然にしかすぎない」と言うのだろう。


イスラエル紀行前書き

とうとう見えざる手に導かれてイスラエルに来た。エルサレムは言わずと知れた世界屈指の宗教都市である。文字通り神に招かれたのかもしれない。決して大袈裟に言っているのではなく、真剣にそう思っている。鶴田真由氏の「神社めぐりをしていたらエルサレムに立っていた」という著書がある。ユダヤ同祖論に興味を抱いて、日本各地、沖縄まで旅して、ユダヤの痕跡を追っていたら、とうとうエルサレムに立っていた、と書いていたが、筆者も同様にユダヤの歴史に手を出してしまったからこそ、エルサレムに立ってしまうことになった。エルサレムには引力があるようだ。しかしこれが最初で最後であり、おそらくもう行くことはあるまい。

日本からイスラエルへの渡航はわずか年間25,000人ほどで、日本人はめったと足を踏み入れない所であるだけに、素顔の「イスラエル」像を知る人は少ない。それほど日本人の意識の中では遠い国だ。本当は日本と密接に交わっている国なのだが・・・。現地に来て分かったが、メディアの過剰報道により「イスラエル=危険な国」という刷り込みがあり、旅行をためらわせている面も大いにあるが、素顔のイスラエルは日本人の抱くイメージと違い「安全」このうえない。ガザ地区の報道でキャンセルが相次いだようだが、これも報道被害と言えるだろう。エルサレム市内も、テルアビブも、投石もデモも何もなくいたって平和な街だ。

しかしそういう筆者自身も、イスラエルに初めて渡航し、イスラエルのイメージは激変した一人だ。素顔のイスラエルを正確に伝えたいと思うし、日本人代表として伝える義務があると思う。また、予定外にイスラエルの中でも、パレスチナ暫定自治区にも足を踏み入れることが出来る”幸運”に恵まれ、「ユダヤ」だけではなく「アラブ」の世界も見ることが出来たので、同時に「アラブ論」も展開してみたいと思う。

結論を先に述べると、イスラエル・ユダヤ教とアラブ・イスラム教は絶対に交わることができない。どちらかが滅ぶまでその諍いはやむことはないと思った。それは以前からそう思っていたし、文書にしたことも幾度もあるが、それが一層、確信に変わった。現地ガイドがいみじくも、「アラブを甘やかし続けたツケを世界中は支払わされることになる!」と言っていたが、その通りだと思う。

北朝鮮という独裁国家に西側諸国は宥和政策であい対し、問題解決を先延ばしして、有り余る時間を与えた結果、北朝鮮は核弾頭ミサイルを開発してしまい、世界のモンスターと化してしまった。それを更に、世界的にしたのがイスラム問題かもしれない。無論、イスラム教徒にも平和主義者は多いのだろうが、ムハンマドの残した「片手に剣を、片手にコーランを」の教えが原理主義者の台頭を許し、テロは止むことはない。

さてさて、以前執筆した「日ユ同祖論」の、より深い現地調査、イスラエルの国情の調査を目的にイスラエルに渡航したが、その地は言うまでもないが、あの救世主イエスのホームグラウンドでもあり、当然、イスラエルで見て回る史跡はイエスの所縁の地がよく出てくる。ベツレヘム、ナザレ、エリコ、エルサレム、などなど新約聖書に出てくる地名に実際に行ってみて、ガイドを通してイエスの物語は毎日のように解説があるのだから一層興味をそそられる。


イスラエルは旧約聖書の時代と新約聖書の時代、両方が混在している世界でも稀な特別な地だ。
ユダヤ教の開祖にあたるアブラハムがアッラーから啓示を受けた場所と、マホメットが昇天した場所は同一の場所であり、イエスが十字架にかかった場所の真下にアダムのサレコウベがあり、イエスの血と水でアダムの原罪をあがなったとされている。

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