第291回男塾「大東亜戦争によるアジアの解放は結果論や後づけではない」2
日本軍アジア独立支援年譜
日本軍の作戦面での年表・年譜は多数存在するが、植民地の解放行動に的を絞った年表・年譜は存在していなかった。それゆえ、安濃氏は各国、各独立活動家による独立行動記録から事象をピックアップして取りまとめた「日本軍アジア独立支援年譜」を完成させた。
それは戦中だけではなく、戦前、戦後も掲載されている。それは、開戦前からアジア解放のための活動を開始していたからであり、また、戦後もアジア解放及び独立維持のための戦いを、日本兵もアジアの人々も止めなかったからである。では、その年譜は膨大な量なので、一番肝心なところに絞って、読者の皆様と、大日本帝国軍のアジア解放の歴史を振り返ることにしよう。
さすればいかに、日本が多大な犠牲の上に、大東亜の解放のための「戦い」をしていたかを知ることになる。
昭和15年3月
昭和15年 大東亜戦争勃発の一年前、大日本帝国は、既に「南機関」と呼ばれる特務機関がアジア各地で独立派への支援を開始していた。日本の大本営陸軍部は、参謀本部付本船舶課長の鈴木敬司大佐に対し、ビルマルート遮断の方策について研究するよう内示を与えた。鈴木はビルマについて調べていくうちタキン党を中核とする独立運動に着目した。運動が武装蜂起に発展するような事態となれば、ビルマルート遮断もおのずと達成できるだろう。
(※昭和15年という開戦前からアジア解放の作戦を既にたて、「南機関」を設立し諜報活動をしていた史実は、一層、「大東戦争アジア解放論」の正しさの裏付けとなる。左翼論駁にこの事実も大いに使ってもらいたい。)